糖尿病リハビリの実践総論:安全基準と評価
糖尿病患者さんへのリハビリでは、低血糖・高血糖、脱水、末梢神経障害、網膜症・腎症などの合併症を踏まえ、安全閾値→評価→運動処方→モニタリングの順で意思決定することが重要です。病態や評価項目の全体像は別記事「糖尿病の評価項目と理学療法のポイント」にまとめていますので、本稿ではそれを前提に、リハビリ場面での血糖値の目安・レッドフラッグ・チェックリスト・運動処方にテーマを絞って解説します。
運動開始前に確認する“レッドフラッグ”
- 血糖:目安は 90–250 mg/dL。<100 mg/dL は炭水化物 15 g 補食を検討。>250 mg/dL+ケトン陽性 は中止し医師へ連絡。
- バイタル:発熱、脱水徴候、胸部症状、重度高血圧や不整脈は一時中止。循環器疾患の既往があれば特に慎重に。
- 合併症:増殖網膜症(息止め・高負荷回避)、腎症(容量を段階増加)、末梢神経障害・足潰瘍(荷重・靴管理)。
- 薬剤:インスリン、SU 薬、速効型分泌促進薬は低血糖リスク。食事と投与タイミングを必ず確認。
判断に迷った場合は、まず中止→主治医連絡を優先し、その日の運動は「ストレッチや軽い関節可動域練習」など低リスクな内容にとどめます。本文中の実務例は ADA Standards of Care 2025 を基準に要約しています(外部リンクは下部参考文献を参照してください)。
初期評価テンプレ:問診→身体所見→簡易検査
| 領域 | 要素 | ポイント |
|---|---|---|
| 問診 | 低/高血糖既往と時間帯、食事・薬のタイミング、夜間症状、運動習慣 | 「いつ・何をして低血糖?」「補食でどのくらい改善?」を具体的に聞く。 |
| バイタル | 体温、SpO₂、血圧、脈拍、体重/浮腫 | 脱水・循環器症状があれば強度を下げるか中止を検討。 |
| 自律神経 | 起立性低血圧(段階的測定) | 立位ふらつきは転倒リスク。休息→再評価を徹底。 |
| 末梢神経 | アキレス腱反射、内果振動覚、Semmes–Weinstein 10 g モノフィラメント | 足潰瘍リスク層別化に有用。荷重時間・靴選定へ反映。 |
| 足部 | 皮膚(びらん/潰瘍/胼胝/白癬)、変形、靴・中敷適合 | 歩行距離や立位課題の上限決めに直結。 |
| 視機能 | 網膜症の病期・治療歴 | バルサルバや瞬発高負荷を回避。 |
在宅・施設ではSMBG/CGM のデータ確認が重要です。測定そのものは患者さん自身または看護師が行い、療法士は「どの時間帯なら血糖が安定しやすいか」「どの運動でどの程度動くか」を読み取り、運動処方に落とし込んでいきます。
血糖チェックと補食の実務(SMBG/CGM)
- 運動前血糖:100 mg/dL 未満 → 炭水化物 15 g 補食を目安。
- 250 mg/dL 超+ケトン陽性:運動は中止し医師へ連絡。陰性でも体調次第で慎重に。
- 夜間低血糖の既往:夕方〜夜の強い運動は回避し、就寝前スナックや運動時間の見直しを検討。
血糖変動が大きい症例では、食事・薬・運動の時間関係を整理し、「比較的安全に動ける時間帯」を患者さんと一緒に探っていくことが大切です。低血糖時対応の手順カードや家族・スタッフへの共有もセットで準備しておくと、現場の安心感が高まります。
運動処方の原則:有酸素 150 分/週+レジスタンス 2–3 日/週
基本は中等度の有酸素運動を週 150 分(少なくとも週 3 日、連続 2 日休まない)+レジスタンス運動を週 2–3 日です。体力低下や合併症がある場合は、RPE 11–13 程度で 10–15 分×複数回から開始し、1–2 週ごとに時間・頻度・強度のいずれかを少しずつ増やします。長時間座位は 30 分おきに立ち上がりや足踏みで中断すると良いでしょう。
負荷を上げる際は、「血糖」「足部」「自律神経(起立性低血圧など)」の 3 点をセットで再評価し、「歩行距離を伸ばす」「レジスタンス回数を増やす」「頻度を増やす」のどれから調整するかをチームで共有しておくと、安全に段階的な増量ができます。
運動中・後の観察:低血糖/自律神経症状を見逃さない
ふるえ、冷汗、動悸、顔面蒼白、集中困難、異常な疲労感は低血糖のサインです。出現したら即中止し座位休息、可能なら SMBG/CGM を確認し、必要時は15 g 補食→15 分後再評価とします。口渇・多飲・頻尿・アセトン臭など高血糖の兆候も同様に中止し、医師へ報告します。
自律神経障害がある症例では、心拍数や血圧変化が小さくても、息切れの自覚度、ふらつき、胃もたれ、便通異常などを合わせて観察し、強すぎる負荷になっていないかを多面的に判断します。
足病変リスクの簡易スクリーニング(10 g モノフィラメント)
静かな環境で、患者さんに目を閉じてもらい、10 g(5.07)モノフィラメント を足底複数点へ垂直に 1 秒加圧→1 秒保持→1 秒離します。「感じた/感じない」で確認し、感じない部位があればリスク高とみなします。結果は靴・中敷の選定や荷重時間の上限設定に直結します。
あわせて皮膚の乾燥・びらん・胼胝・白癬や足趾変形も確認し、必要に応じて皮膚科やフットケア外来と連携します。リハ職は「どの条件で足を守りながら歩けるか」を明らかにし、本人・家族・多職種へ共有する役割を担います。
記録テンプレ:安全管理の“証跡”を残す
SOAP の O には「運動前血糖・バイタル・補食の有無・足部観察・自律神経所見」「実施した運動の種類/強度/時間」「症状の有無」「運動後の状態」を定型で記録します。教育・自己管理支援の内容は S/E にまとめておくと、経時的な変化を振り返りやすくなります。
インシデントやヒヤリハットがあった場合も、血糖・足・自律神経のどこにボトルネックがあったのかを構造的に残すことで、「どの条件を変えれば再発を防げるか」をチームで検討しやすくなります。
ケース別の配慮(抜粋)
- 増殖網膜症:息止め禁止、瞬発的な高負荷回避、中〜ややきつい強度で実施。頭位変換で症状が出る場合は段階的に慣らす。
- 腎症:貧血・浮腫に注意し、低負荷・短時間から容量を漸増。血圧や体重変化をこまめにチェック。
- 重度末梢神経障害:荷重は短時間から開始し、転倒・足傷の二次障害防止を最優先。必要に応じて水中歩行やエルゴメータなど非荷重運動を組み合わせる。
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現場の詰まりどころ(どこで迷いやすい?)
- 「血糖だけ」を見てしまう:血糖値だけで可否を決めてしまい、足潰瘍リスクや起立性低血圧を見落とすケース。最低限「血糖+足部+自律神経」の 3 点セットで判断する習慣をつける。
- インスリンと食事タイミングを聞き漏らす:同じ血糖値でも「直前インスリンあり・運動直前食事なし」なら低血糖リスクが高い。問診テンプレを用意して抜け漏れを減らす。
- 安全閾値は知っているが“線引き”ができない:90–250 mg/dL を知っていても、症状やコンディションによる微調整が難しい。迷うラインはプロトコルにメモしてチームで共有し、「施設としての基準」を作っておくと判断しやすい。
- 記録があいまいで振り返れない:低血糖疑いのエピソードがあっても具体的な数値や運動内容が残っておらず、次回に活かせない。A4 シートに「数値+症状+対応」を書き込める枠を作っておくと、フィードバックサイクルが回りやすい。
現場で迷いやすいポイントは「情報の取り方」と「線引きの仕方」に集中します。評価テンプレと記録フォーマットを標準化するだけでも、安全性と説明責任はぐっと高めることができます。
よくある質問(タップで開閉)
各項目名をタップ(クリック)すると回答が開きます。もう一度タップで閉じます。
運動前に血糖が 90 mg/dL 未満です。どうしますか?
15 g の炭水化物(ブドウ糖 3~4 錠、ジュース 150 mL 程度など)を補食し、約 15 分後に再度血糖を確認します。症状(ふるえ・冷汗・動悸など)があればその日は強い運動は行わず、歩行や ADL レベルにとどめ、原因(薬・食事・運動タイミング)を振り返ります。
250 mg/dL を超えています。運動していい?
ケトン陽性なら運動は中止し、医師へ速やかに連絡します。陰性でも脱水や体調不良、胸部症状があれば安全とは言えません。十分な水分摂取を行い、その日の負荷はストレッチや軽い可動域練習など低リスクな内容にとどめるのが無難です。
足のしびれが強い方の歩行訓練はどう進めればよいですか?
まず 10 g モノフィラメントで感覚評価を行い、荷重時間や歩行距離の上限を決めます。同時に靴・中敷の適合を確認し、皮膚チェックをルーチンにします。最初は短時間歩行+十分な休息から開始し、発赤や水疱が出ないことを確認しながら徐々に距離や時間を伸ばしていきます。
おわりに
糖尿病リハビリでは、「安全閾値の確認 → 初期評価 → 運動処方 → 経過観察 → 再評価」という一連の流れを毎回同じリズムで回すことが、事故予防と QOL 向上の土台になります。血糖・足部・自律神経の 3 点セットを押さえつつ、患者さんごとの生活パターンに合わせて運動時間や内容を微調整していくことで、無理なく継続できるプログラムに近づいていきます。
この記事のテンプレートやダウンロード資料を、そのままチーム内カンファレンスやリハ会議、退院指導に持ち込んでいただき、各施設版のプロトコルに育てていってもらえればうれしいです。
参考文献
- American Diabetes Association. Standards of Care in Diabetes—2025. Diabetes Care 48(Suppl 1), 2025(運動前血糖・低高血糖対応・CGM 活用)。
- Riddell MC, et al. Physical Activity/Exercise and Diabetes. Diabetes Care. 2016;39(11):2065–2079. PMCID: PMC6908414(実務閾値 90–250 mg/dL、補食・ケトン対応)。
- Boulton AJM, et al. Comprehensive Foot Examination and Risk Assessment. Diabetes Care. 2008;31(8):1679–1685. DOI:10.2337/dc08-9021(10 g モノフィラメントのエビデンス)。
- ADA patient resources(患者教育要約):Weekly exercise targets / Checking your blood sugar
- 日本糖尿病学会(JDS)関連資料:公式サイト
著者情報
rehabilikun(理学療法士)
rehabilikun blog を 2022 年 4 月に開設。医療機関/介護福祉施設/訪問リハの現場経験に基づき、臨床に役立つ評価・プロトコルを発信。脳卒中・褥瘡などで講師登壇経験あり。
- 脳卒中 認定理学療法士
- 褥瘡・創傷ケア 認定理学療法士
- 登録理学療法士
- 3 学会合同呼吸療法認定士
- 福祉住環境コーディネーター 2 級
専門領域:脳卒中、褥瘡・創傷、呼吸リハ、栄養(リハ栄養)、シーティング、摂食・嚥下



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